2007年5月27日日曜日

YouTubeとギター

まずは、以下の動画をご覧ください(要ニコニコ動画アカウント)。



この動画を見て、驚いた点がふたつあります。

まずひとつは、驚きをもって、時代の流れを感じた点。この動画は、要するに、アームダウンした後にハーモニクスポイントを軽く触れることを解説しているものですが、1990年代半ばまでにロックギターをかじった者ならば、解説されなくても、何をどうしているのかくらいは知っていて当然のことでした。やる/やらない、できる/できないを超えて、共有されていた知識のはず。その不存在を知り、私も歳をとったのだと思いました。

もちろん、もう十年以上も前のことですから、驚くには値しないと考える方もいらっしゃるかもしれません。しかし、1990年代に入って以降のアメリカが、トリッキーでテクニカルなハードロックギターのスタイルを徹底的に否定、排除していたにもかかわらず、ここ日本では、それでもそういうスタイルのギタリストがもてはやされていました。イングヴェイマルムスティーンやポールギルバートなどがその代表格でしたが、彼らのキッズへのプレゼンスも、もはや全く無意味になってしまっているのではないかということが、この動画のコメントからわかり、やはり、時間の流れに驚嘆せざるを得ませんでした。

驚いた点のふたつめは、動画共有サイトには、このような使用法もあるのかと気付かされたことです。やはりなんといっても便利極まりない。あえて探そうとはしませんが、例えばYouTubeには、市販されている教則ビデオの類いがアップロードされていることでしょう。自分の求める技術の解説映像にピンポイントでアクセスできるとしたら、これほど教育効果の高いものはないのではないでしょうか。

しかし、一方で懸念もあります。今回ご紹介したもののように、メディア的にキャッチーなものしか視聴されないのではないかというものです。エディヴァンヘイレンのタッピングとか、ブラッドギリスのクリケットアーミングとか、ジェイムズバートンのカントリーロッキンなプレイとか、見てすぐにすごさがわかるものしか見てもらえない可能性は決して低くはないでしょう。人はおもしろいものを見たいのですし、自分のプレイをアップするプレイヤーは、おもしろいと思ってもらえるものをマスターしたいでしょうから。

そう考えると、例えばケニーバレルのブルージーでジャジーなプレイなどは、メディア的に駆逐されて行くようなことはないでしょうか。何がすごいのかがわかりにくいようなものは、メディア的におもしろくありませんものね。私がギター小僧だったころは、とりあえず初心者から上級者までカバーしてくれている雑誌があったので、「いつかはジャズを」みたいな願望を持つことも可能でしたが、今後仮に動画共有サイトが教育の中心になって行くようなことがあると、不健全なゾーニングがなされていくことも考えられます。それはやはり個人の技術の向上という点で、良くないことなのです。

しかし、私がここで書いていることは、悲しい意味で杞憂かもしれません。今のティーンエイジャーは、ギターをやろうとはあまり思わないような気がします。街を歩いていても、ギターやベースを持ち歩いている中高生を見かけることが、随分と稀になりましたから。周りがそのような状況であるにもかかわらず、ギターをやろうと考えるような若者は、初めから意識が高いでしょうから、やはりここで書いていることはあてはまらず、あらゆるメディアを利用して、自らの技術を磨いて行くのかもしれません。

そうであるならば、私の書いていることは、年寄りのボヤキですね。